なぜ、黄金が必要だったのか。
その謎を、作家高橋克彦氏の「風の陣」から読み解いていきたいと思う。
『聖武天皇が国を纏(まと)めていた天平(てんぴょう)年間は仏教が遍(あまねく)く国土に広められた
時代であった。相次ぐ飢饉や疫病の発生。そして内政の乱れによる権力争いが天皇の心を仏による
救済へと傾けさせたのである。天皇は諸国に国分寺、及び国分尼寺(こくぶんにじ)を建立して国土
の安泰を願い、平城京には空前節後の大仏を鋳造した。また唐より鑑真(がんじん)を招き唐招提寺
を創建させたのもこの時代のことである。都は唐風文化に彩られ華美となった。仏教への加護は聖
武の後、孝謙、淳仁、称徳と三代に亘って継続される。仏教にとっての黄金時代と言っても過言で
はなかろう。そしてそれは比喩でもない。仏の体は黄金で包まれる。仏が多く造られることは黄金
の輝きが国土に満ちることでもあった。まさに黄金の世である。
が、問題は日本に黄金が産出しなかったことにある。唐よりの輸入に頼るしかなかった。それで
は自(おの)ずと限界があった。寺を建立できても肝腎(かんじん)の仏がなくては用をなさない。朝
廷は黄金の調達に苦慮していた。
そこに天平二十一年(749)、春早々に陸奥(むつ)から黄金が発見されたという朗報が舞い込んだ。
これまで辺境としか見做(みな)さなかった陸奥が、この瞬間から朝廷にとって宝の蔵に変わった。
陸奥の黄金があれば国家の鎮護が叶(かな)う。
しかし、朝廷の考える国家の中に陸奥が含まれていなかったことがすべての不幸の源がある。
国家鎮護どころか、その黄金を巡って朝廷はさらなる苦慮を負う結果となった。
陸奥に暮らす蝦夷(えみし)との果てしない戦いが黄金を軸として何世紀にも亘って繰り広げられ
ることとなったのである。』
(高橋克彦『風の陣』一 立志編 講談社文庫、2018年, pp11-12)
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