天平二十一(749)年の春。奈良の都からはるか遠い陸奥の地で黄金が発見された。これにより、陸奥で暮らす蝦夷と金を狙う朝廷の関係が一気に緊迫。蝦夷の丸子嶋足と物部一族の天鈴(てんれい)は、都を揺るがすある事件に関わっていく・・・。
嶋足を巡って、鮮麻呂と天鈴が激しくぶつかり合う。
多賀城から三月が過ぎた四月の上旬。伊治豊成の館を二風が訪れていた。
「引き受けた。あの二人、どうやら気が合うらしい。天鈴とてやがて物部を継ぐ身。今から手を結び合うておれば頼もしかろう」
「厳しく教えてくだりませ」
二風は丁寧に頭を下げた。
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そうとは知らず鮮麻呂と天鈴は喧嘩を始めていた。天鈴が嶋足を悪し様に罵ったのだ。
「都に参ってなぜ悪い」
鮮麻呂は天鈴を睨み付けた。
「もはや蝦夷ではなかろう」
天鈴も怒鳴り返した。
「嶋足の親の宮足は蝦夷の恥さらしじゃ」
「親と嶋足は違う」
「おなじよ。都にでて帝に仕えると言うたな。それで蝦夷と言えるか」
「うぬは嶋足を知らぬ」
「その歳でなにが分かる。親父どのは宮足こそ我らの敵と申した。敵の倅が尻尾を巻くとは、うぬも知れた者よな」
「嶋足がうぬになにをした!」
・・・・・
「俺は知らぬ相手の悪口を言うやつを許さぬ。嶋足を見てから言え!」
・・・・・
「悪かった。俺が悪い」
天鈴は両手を揃えて謝った。鮮麻呂の言い分にも一理あると悟ったのだ。自分は嶋足と有ったことがない。それで誹謗(ひぼう)するのは男のすることではなかった。
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「きっと俺は気に入らぬ。それでも今は謝ろう。うぬの方が正しい」
「そうか。なら許してやる」
鮮麻呂は満面の微笑みを浮かべた。こだわりなど少しも残されていない。
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「分かった」
鮮麻呂は天鈴に細い腕を伸ばした。天鈴はしっかりとその手を握った。
<こやつ、妙なやつだ>
天鈴はもう鮮麻呂が好きになっていた。
(高橋克彦『風の陣』一 立志編 講談社文庫、2018年、 pp40-48)
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