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​記事

揺れる蝦夷・・・。(2)


一方、朝廷側は・・・。


『明けて天平二十一年(749年)の正月。

 朝廷の陸奥統治の拠点である国府多賀城にて恒例の祝賀が開催された。郡司(ぐんじ)と朝廷の支配

 下に組み込まれた蝦夷の主だった者が席の大方を占めているのだが、今年は黄金の発見も加わって

 、ことに賑やかであった。採金に関わった者たちは上座を与えられ陸奥守自らが杯に酒を注ぐとい

 う破格の扱いである。それも当然であった。大仏の鋳造は八割方終わり、いよいよ腰を据えて黄金

 の調達にかからねばならぬ時期に差し掛かっていた。普通の仏ならともかく大仏となると用いる黄

 金の量が莫大となる。朝廷のそのために唐から黄金を取り寄せ蓄えていたものの、まだ五分の一に

 も満たない。そこにこの朗報を伝えれば陸奥守の手柄となって大幅な昇進が必ず見込まれる。実際

 、その通りとなった。・・・ いかに朝廷が黄金の発見に狂喜したか、これで分かる。ばかりか聖

 武天皇はこの年の四月に年号を天平から天平感宝と改めた。宝の出現に感謝するという意味合いが

 込められているのは間違いない。

 ・・・

 「よくぞ見付けてくれた。雪解けを待って黄金を都へと運ぶ。そちらも同道いたせ。帝もさぞかし

 お喜び召される。儂も鼻が高い。これで我が国は変わるぞ。真の仏の国となる」

 ・・・

 「これまで陸奥は貧しき国と見下されておった。が、今後はだれしもが陸奥守の地位を望むであろう

 。国にとって大事の地。そうしたのはそちら二人じゃ。礼を申す」

 敬福は二人に頭を下げた。

 「勿体のうござります」

 宮麻呂と浄山は蜘蛛のごとく平伏した。』


               (高橋克彦『風の陣』一 立志編 講談社文庫、2018年、 pp22-24)

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