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​記事

明けましておめでとうございます。

  • rikutakakensekkei
  • 1月1日
  • 読了時間: 2分

正月元旦、竹駒神社宮司さんの詔(みことのり)からここ玉山金山の令和7年の年があけました。

竹駒神社は、行基菩薩が玉山金山を発見したことから、伏見大社より金山守護神として勧請した後、藤原清衡が神社を奉斎したと伝えられています。


時は天平六年(734)、僧行基が諸国を行脚して布教活動をしていた時のことです。行基は丁度竹駒村の長根にさしかかりました。道端の大きな石に腰をおろし、詰め物(つめもの・弁当)を開いて食事をしようとした時のことでした。 行基の前に忽然(こつぜん)と神々しい一人の女性が現れ、その左右には童子をしたがえていたそうです。目の前に現れたその女性は行基に向って云いました。「われは此の御玉山に鎮座する弁財天なり。もと、安芸の厳島、近江の竹生島(ちくぶしま)、相模の江ノ島、そして奥州の金華山に鎮座す。一切衆生のため、大良福田を修す。普(あまねく)く生きとし生きる者を救うため有情を度せんと欲して東鄙(とうひ・東のはずれ)に分身し、迹(せき・あしあと)を北峯に垂れ里俗呼んで玉御前と称す。後世庶民信心清浄にして我れを祈らば、此の山多くの金玉を湧出し、安産を守護し、貧窮を転じて応(たしか)に福徳円満なるべし。是皆神力の致す所なり」と。こう言いおわるや否や、かの女は行基の目の前から煙の如く消え失せたと云われています。 このことが端諸(たんしょ・はじまり)となって、行基がこの壺の沢川から「みよし金」といわれる砂金の塊(かたまり)を発見したのでした。 そして、弁財天のお導きによって玉山金山が発見されたと伝えられています。

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