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陸奥(みちのく)の旅の途中で・・・。


公職を離れ(退職されて)、好きな歴史を訪ねて陸奥(みちのく)を旅している途中、ふと目に留まった「玉山金山」。平泉中尊寺金色堂はあまりにも有名。でも、その『金』はどこから・・・。

温泉宿を探す中で「玉乃湯」を知り、そして、この金山の遺跡に触れたくなり宿を求め案内人を求めた。

緑が生い茂る自然の中に遺跡群は埋もれるように点在する。案内人は旅人に「奈良・平安時代の玉山金山は、その『金』の輝きで人々に光(希望)を灯す。そのように使われた産金(砂金)の場所なんです」と・・・。

そして、時代は戦国から江戸時代へ。砂金から坑道堀りへ変遷するなか、御金山下代として仙台藩に仕えた松坂家は金山衰退とともに堀子たちの暮らしを支える為に新田開発と松坂堰に挑んだ。工事は困難を極めた。その開墾地が今でも利用されている。

玉山金山は、栄枯盛衰を重ね今でも人々に語り繋がれている。

(令和6年7月26日 案内人:一般社団法人竹駒牧野 事務局長 及川賢治)




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