特別の日。令和6年4月20日(土)。
今年3月に陸前高田市立博物館を退館された松坂泰盛先生との再会。そして、3月20日玉山金山水晶探索ツアーの初日、惜しくも春の大雪で水晶の採集の中断を余儀なくされ、是非「水晶と会いたい」という奥様の願いを叶えてあげたい。そんなご主人の想いのこもった日でありました。
松坂前館長はこの玉山金山との縁も深く、松坂家の初代松坂徳右エ門定久は、遠祖である定澄(文治元年=1185、源頼朝より勢州松坂壮に采地四千町賜わり、その地名をもって松坂を名乗った)より数えて17代目盛定の一子として、永禄7年(1564)山城国(現京都府南部)で生まれ、長じて天正16年(1588)3月、羽州(山形・秋田県)延沢・院内金山で金山経営を学び、文禄2年(1593)気仙郡玉山金山に来て公儀物書役を勤める。やがて慶長3年(1598)、伊達政宗の命により御金山下代となる。(詳しくは陸前高田市史第19巻産業編(下)P75参照)
以来、寛文6年(1666)松坂家2代松坂十兵衛定成は衰退を見せる玉山金山の人夫を使役し新田地区に田畑合わせて6町8反1畝4歩を開墾し生活の糧としている。また、江戸時代の末期、松坂家第9代松坂慶三は現在の霊泉玉乃湯を平民にも広めるなど松坂家累代の当主たちは、そのときその時代にあって農民たちのために尽力した先人たちであり、泰盛先生にとっても特別の日であったのかもしれませんね。
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