石臼の文化をご存知ですか
- rikutakakensekkei
- 11 分前
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4月13日、桜のつぼみも膨らみ始めた玉山金山の旧館玉乃湯で石臼などの内覧会がありました。
大船渡市猪川町中井沢の産金遺跡資料施設・オリエントロマン館から、気仙の金山を歩いて採集した鉱石や金採集に使われた石臼などのコレクション125点を弊法人が引きついたものです。
産金遺跡研究会(野村節三会長)元会員の故・嶋村克彦氏(享年83)が気仙39か所の金山を巡りその証として石臼を収集した貴重な資料であります。
関係者が一同に集まり展示物を再確認のうえ、今後の活用を話し合ったところであります。


新石器時代や後期旧石器時代の人々は、石臼を使って穀物、木の実、根菜などを粉挽きしてから作った食品を消費していた。後年になると食品だけでなく、顔料や精錬前の鉱石を粉砕する目的でも石臼が用いられるようになった。
大宰府・観世音寺講堂前の天平の碾磑(てんがい)は、水を流しながら鉱石の粉鉱物質の原料、朱か金の原鉱を湿式粉砕するのに使用されたと推測されている。古代における朱の製造は寺院の建設や仏像に鍍金される金の採取にも必要不可欠であった。(九州歴史資料館および同志社大学教授 森浩一教授(考古学)より)
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