NHK大河ドラマ「光る君へ」 その時、みちのくでは・・・
思えば永承四(1049)年の冬に、すべてのことがはじまった。平将門の乱が平定されて、およそ百十年。ここ陸奥(みちのく)に穏やかな月日が流れたというわけでもない。小規模な蝦夷の反乱は、あたかも埋み火がくすぶるごとく出羽や奥六郡に勃発した。それでも、それらの戦さはいずれも数か月を待たずに鎮められてきた。蝦夷には蝦夷をもって当たらせるという朝廷の政策が一応は功をを奏していたのである。古くは坂上田村麻呂が滅ぼし、平将門すら抑えた朝廷にとって、もはや陸奥の脅威は有り得なかった。むしろ朝廷が警戒したのは、平将門の乱以来、急速に力を蓄えはじめた平氏や源氏を筆頭とする武士団に対してであった。つい二十年前にも坂東で平忠常が叛旗を翻し、数年にも及ぶ永い戦さを繰り広げたばかりだった。だが武士たちはその戦さを通じてさらに力を強めた。いかに武士たちを操るかが課題となりつつあった。
陸奥はしばし忘れ去られていた。
その間隙を縫うように、陸奥には新たな鼓動がはじまった。
百年の間くすぶり続けていた灰の中に、巨大な火種が成長していたのである。
不幸は、その火種自身が、自らの発する炎の激しさに気づかぬことにあった。
灰から頭を擡(もた)げた火種は陸奥の風に煽られて大きな炎を天に噴き上げた。まだその炎は遠い朝廷まで届いてない。炎はますます勢いを増した。陸奥はその輝きに照らされた。
阿部頼良。(あべのよりよし)
それが炎の中心に立つ男の名である。
この男が燃やした炎は、これから先、百三十年の永きにわたって陸奥を光の国とした。
(高橋克彦『炎立つ』壱 北の埋み火 NHK出版、1995年、 pp5-6プロローグ)
995年 藤原道長 右大臣となる。その年、長徳の変があった。
996年 藤原道長 左大臣となる。
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